ふと、目を覚ますと"自分"はその場所にいた。
辺りを見回しても闇ばかりで、自分は瞬間的に夜なのだと思った。

しかし、すぐにその考えを否定する。
真っ黒な土の地面に一切明かりのない周囲、異質な空気の立ち込める外など
現代にあるはずがない。

ふと、足音がした。
人か、と思い顔をその方向に向けるも、すぐにその考えは否定された。

そこにいたのは化け物。

一見犬のようだが、所々腐り落ちたように崩れている顔、
虚ろどころか何一つモノを映さない瞳、
何かの奇病にかかったようにおかしな方向に伸びた尖すぎる爪。

自分は、ただ悲鳴を上げて腰の抜けた身体で無様に這いずり逃げるしかなかった。
しかし、その化け物は急ぐこともなく当初と変わらない足取りで徐々に自分に迫ってくる。
走れない自分を嘲笑うかのように化け物は走ることなく少しずつ距離を詰めていく。

そして、ついにピッタリと真横に並ぶと、その化け物は口を開けて自分の体に迫ってきた。
所々歯の抜け落ちたような口で、自分の足に噛み付こうとしたその時、

――闇に白刃が煌めいた。

形容しがたい鳴き声と臭いと不快な感触に耐えながらも
恐る恐る顔を上げると、途端に強い光が自分の目を襲った。

「……っ!!」
「あっ、すいません。」
突然の光に目が眩む自分の耳に、闇の中でも凛と響く落ち着いた声が聞こえてきた。
何とか落ち着いてきた目で声の主の方に目を向けると、

――白銀の糸が見えた。

しかし、それはすぐに銀色の髪だと気づく。
髪の先に行くにつれ青みがかっていく白銀の髪に輝くような金の瞳、
頬に刻まれた血の涙のようにも見える赤い紋様。
そして、明らかに自分のものとは違う長い耳。

どう見ても人型の異型だった。


その異型は右手に持ったランタンで自分を照らしながら微笑んだ。
「間に合ってよかった。私は"白希"。この世界の案内者です。
貴方のように この世界に迷い込んだ迷い人を現世へ帰す為の存在です。」

その声は穏やかで恐怖に囚われた自分の心を溶かすような不思議な安心感があった。
だからなのだろう。
「さぁ、一緒に行きましょう?」

その言葉に、何の迷いもなく従ってしまったのは。




「――この世界は何なんだ?」
自分のくだらない質問にも、白希は丁寧に教えてくれた。

――この世界は"虚ろの世界"と呼ばれていて、
波長の合った人が迷い込んでしまうどこにでもあってどこにでもない境の世界で、
"奈色"と呼ばれる自分と似たような存在たちが放った化け物たちが我が物顔で
迷い人を虐殺していること。
"奈色"自身も迷い人を発見次第虐殺する危険集団だということ。


と、大まかなことを教えてもらってから、自分は白希に何とも頭の悪い質問を問いた。
「あんたは"奈色"じゃないのか」
白希は少し微笑んで、
「自分は奈色から追われている身なだけで奈色ではないんです。」
とだけ答えた。

その表情にはどこか痛々しい物を感じた。



それから暫く歩き続け、時折襲い掛かってくる化け物などを白希が斬り伏せていった。
白希の戦い方は"自分"を「守る」余裕がないものだった。
その為、化け物がこちらに襲いかかってきそうなときは自分は
白希から逸れないようにしつつも必死で逃げまわった。
そして、白希のほうが片付いたら白希はこちらの敵を片付ける。

戦闘技術のない自分はそんな情けない戦法しか取れなかった。
救いはあまり速く動く化け物がいなかったことだろう。

そんな戦法のため休憩が尋常じゃなく多くなってしまったが、
白希は何も言わずに微笑んで付き合ってくれていた。
時折、一体どこから持ってきたのか水を差し入れてくれることも少なくなかった。
しかし、だんだん白希の口数は減っていき、微笑みも薄れていった。


そして、数えきれない何度目かの休憩の際、白希はおもむろに口を開いた。
「……貴方は、帰りたいですか?」
自分は少し驚いたがすぐに答えた
「当たり前だろ?こんなところで死ぬぐらいなら帰りたいさ。」
白希は少し寂しげな目で
「……帰って、死ぬんですか?」
「っ!!」

図星だった。
白希の目からはいつの間にか寂しさが消えていて静かに冷たいものになっていた。
自分はパニックになってきちんとした言葉が出せなくなる。

「なっ……なっなんっで!?」
「"何故分かる"か?簡単ですよ。ここは大抵そういう人が来るところです。
絶望し、荒み、歪んだ心がこの世界に引き寄せられる。」
「何度か見ていれば分かります。"できれば"帰りたい。"できれば"ここで死にたくない。
貴方には執着がないんですよ。」

白希は自分から目をそらすことなくランタンを持った手で、とある方向を指差した。
「この方向を数刻ほど真っ直ぐ進めば出口です。私はもう貴方に興味はない。
貴方は私が最後まで見届ける価値がない。ですからお別れです。」

白希はそう言って何の躊躇いもなく去っていってしまう。
呆気にとられた後、正気に戻った自分はまだもつれる足を無理矢理動かし
白希の消えた方向へ「待ってくれ」と繰り返しながら追いかける。


――あの時別れを告げた瞳が"同じ"だった。
 
 過ち繰り返してしまう自分を必死で支えてくれた彼女から

 「貴方は後悔と謝罪ばかり」と言われたときのあの瞳に。

 自分に背を向けて歩く彼女が最後に振り向いて冷たく「さようなら」を告げた時のあの瞳に。


あの時と同じように「待って」を繰り返し、何度もよろけながら自分は白希を追いかけた。
そして、あの頃とは違い、走った先に白希の後ろ姿を見つけた。

自分がその名を呼ぶと白希はゆっくりと振り向く。
その表情は微笑みだった。
自分は白希に駆け寄るために最後の力を振り絞った。

「しら」

最後の名を呼ぶ前に衝撃が自分を襲った。
一瞬後に腹にジクジクと痛み出す。咄嗟に白希を見た瞳は静かな笑顔を見せる白希の表情。
その手には銀色に輝く自分の血が付いた何か。

地面に後ろから倒れこむ。しかし、力が入らずに背中が地面にぶつかる。
首を動かす力もなく自分の顔は真っ直ぐ上を、自分の走ってきた道の方向を向いた。

何処か遠くで声が聞こえた気がした。

霞む視界でこちらへ走ってくる白希の姿が見える。


―――その顔は、泣き笑いのようなどこか狂った表情だった。